「可能性のある人に機会を与える人になる」 ケニアで気鋭の日本人起業家
「10年後のビジョンとして、営業利益は10億円(1000万USドル)を目指し、同時にアフリカを代表するベンチャー創出企業になると掲げています。社員にはどんどん機会を与え、社内外問わず活躍できる人材になってほしいと思っています。」
河野さんは、「可能性のある人に機会を与える人になる」という強い信念を持ち、ケニアの市場に挑んでいる起業家だ。
先日公開したインタビュー記事前半では、河野さんの会社の「事業内容」や「ビジョン」について詳しく話を伺った。
後半となる今回では、河野さんが「海外でビジネスをする理由」や「自身の思い」についてより深く迫っていく。
河野邦彦 1990年生まれ
大学卒業後、大手上場企業で営業、採用担当者を経て、インドでの語学学校の立ち上げに参画。その後、フィリピンのスタートアップYOYO Holdings.にて採用責任者として従事。ベトナム、インドネシア、フィリピンの3カ国での採用業務を1人で行う。2017年2月からアフリカのケニアで起業。アフリカにおける農産業の課題を解決し続ける持続可能なコングロマリットを目指している。REAPRAから出資を受け、起業するに至る。
「社内ではお互いに思ったことは必ず言い合い、その場で問題をクリアにするようにしています。」
社内でも社員と真正面から意見をぶつけ合い、サービスをよくするためにと皆が本気で考え、その思いをぶつけあう。
謙遜や遠慮などといったことは一切なく、お互いが納得するまでディスカッションは続く。
河野さんがCEOを務めるAmoebaX社は、2018年5月で創業から一周年を迎えた。立ち上げ当初、河野さんを含め正社員は2名だったが、今では正社員数は18名、日雇いの従業員も含めると40名を超える大所帯となった。
現在は「YasaFi」というサービスネームでケニアのストリートベンダー向けに赤玉ねぎの卸売り販売を行っている。
前年比1,500%成長と急速に成長しているAmoebaX社は設立2年目にして年商1億円を容易に達成する勢いだ。
ケニアで圧倒的な結果を残す河野さん。起業するに至るまではどんな意思決定をしたのだろう。何が彼を海外へと突き動かし、ケニアという地で起業する選択に至らせたのか。彼の人生を決めたのは、学生時代のある体験が鍵となっていた。
小学校時代の恩師との出会いが人生を変えた
河野さんがケニアで起業するに至った原点は、小学校時代に遡る。
小学5年までは全く勉強したことがなかったと話す河野さんだが、小学6年で出会った恩師のおかげで人生が大きく変わった。
「小学6年の時の恩師は、授業を全てクイズ形式でやっていて、そこで初めて勉強は楽しいものだと思いました。中学校入学後からは自分で勉強するようになり、自分の人生が180度変わりました。」
将来は恩師と同じく教師になりたいと思っていたと当時を振り返る。
高校、大学へと進学する度に挨拶に行くほど感謝していて、恩師のおかげで河野さんの人生は大きく変わった。
当時、恩師のような教師になることを目指していたため、大学進学時には教育学部を選択した。
「小学6年のクラス全員が恩師による同じ授業を受けていたはずなのに、大きく変わったのは恐らく僕だけ。恩師は機会を提供していただけで、僕がそれに運良く飛びついただけだと気づいたんです。」
機会がなければ、変わるきっかけを掴むこともできない。
自分がこれから人生をかけて取り組みたいことは、「機会を与えること」と強く感じた。
大学時代のタイへの訪問と「持続可能性」
大学時代は体育会のサッカー部に所属していたため、卒業までサッカー漬けの日々だった。
サッカーに費やしてきた大学生活も卒業間近。
将来を真剣に考え始めた時に自分はこのまま教師になる選択でいいんだろうかと不安になっていた。
年に一回あるサッカー部のオフを利用して、フラットに今後の人生を考えるために、東南アジアのタイへ旅行に行くことにした。
「タイの子供の方が学習意欲があるなと感じたんです。僕が日本の子供とタイの子供に同じことを教えても変化の幅が大きいのはタイの子供の方じゃないのか。その時にタイのような新興国で自分の人生をかけて、その変化の幅を大きくすることに貢献したいと思いました。」
この体験、思いをきっかけに国際協力や国連、ユニセフ、NGO等について調べたが誰もが口を揃えて言うのが「持続可能であるか」ということだった。
ビジネスであれば「会社も儲かる、お客さんも儲かる、世間も良くなる」という三方よしを実現し、持続可能な事業ができるのではないか。河野さんはそう感じたと言う。
このときに将来は新興国でビジネスをすると決めた。
新興国でビジネスをするために着実と積み重ねた経験
タイへ訪問した後に新興国でビジネスをすると決意した河野さんだが、新卒では日本の会社に就職している。
「タイに行った当時は人の為に人生をかけようと思っていました。ただ、就職活動の時に尊敬する友人に「邦彦自身は幸せじゃなくていいの?」と言われてはっとしたんです。」
人の為に何かをすることに喜びや幸せは感じるが、その前に自分が幸せでないととそんな余裕は無いのではと気づいた。
「僕の幸せの定義は、可能性のある人に機会を与えること。ただ、その大前提に『自分と自分の大切な人に不自由させない程度のお金をどこでも稼げること』が必要だと気付いたんです。」
まずは、どこに行っても稼げるようになるために営業が日本で1番キツイ会社に入ろうと決めた。
「就職活動の面接の際には『365日働きます』と言っていました。」と河野さんは当時を振り返って笑う。
それに加えて、2-3年で辞めるつもりだったので、面接時にその旨を伝え、それを理解していただいた上で、その短い期間でもマネジメントの経験ができると言ってくれた株式会社オープンハウスに入社を決めた。
オープンハウス社では営業と人事を経験し、2年で退職。
退職後は、日本で会社を作るか新興国で働くかを迷っていたところ、友人に「インドの語学学校の立ち上げをやってほしい」と誘いがあり、半年限定という条件で参画。
半年間のインドの語学学校の立ち上げと運営を経て、フィリピンでモバイル広告サービスを提供するYOYO Holdings.に人事として入社。
YOYO Holdings.に入社したのは世界で本気で闘うスタートアップに身をおくためだった。そこでは、フィリピン、インドネシア、ベトナム、韓国、日本と5ヶ国のメンバーと一緒に働くことができた。
未経験のITの領域でレベルの高いメンバーと働き、スタートアップとは何かを学んだ。
「人事責任者として社内の行動指針の作成や採用を経験できたのはよかったですね。」
ただYOYO Holdings.で働きながら、河野さんの中に気持ちの変化があったと言う。
「YOYO Holdings.で社長の近くで働くことができたことで、改めて自分で経営することとスタートアップのメンバーとして働くことの違いをまざまざと感じました。自分でオーナーシップを持って全ての意思決定することで全く違う景色が見えるんだろうなと。」
河野さんはこのときに、自分で起業することを決意したと振り返る。
当初、アジアで起業しようと考えていた河野さんだが、友人のある一言でアフリカに目を向けることとなった。
「邦彦は次はアフリカでしょ!」
この一言をきっかけにアフリカ全域のリサーチを行った。
最終的にはネット普及率も高く、スタートアップへの投資が集まっているケニアで起業すると決めた。
東南アジアを中心にハンズオンで投資を行うREAPRA社からの投資も決まり、ケニアで起業することが確実のものとなった。
河野さんは、現地でのリサーチを経て、ケニアで赤玉ねぎの卸売り販売事業から始めることに決めた。
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ケニアに決めた具体的な理由、事業内容に関しては前回のインタビュー記事で紹介。
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社内外で活躍できる人材を輩出するために社員教育に重点を置く
会社の立ち上げから2018年5月でちょうど1周年を迎えたAmoebaX社。
立ち上げ当初と比べて、会社を取り巻く環境はどのように変わったのか。
立ち上げ当初はたった2人だったAmoebaX社も今では正社員が18名、日雇いの従業員も含めると総勢40名を超える大所帯となった。
「採用は一貫して新卒を採用しています。理由は3つ。1つは就労経験をしていないので、日本では当たり前ですが、『会社からお金をくすねる文化』を知らない純粋な人が多い。2つ目は素直で学習意欲が高いこと。3つ目は多くの30歳前後のケニア人の経験が弊社で活きない可能性が高いからです。」
※そもそもケニアに新卒という概念はない。
冒頭でも述べたが、河野さんは会社の10年後のビジョンとして、アフリカを代表するベンチャー創出企業になると掲げている。
社内ベンチャー、もしくは外部で活躍できる人材を輩出するために、社員教育に力を入れている。
「入社する社員とキャリアプランを共に設計し、社員の将来の目標、会社での目標をそれぞれ明確化するようにしています。」
定期的に1on1ミーティングを実施することで、入社時の設計したキャリアプランやパフォーマンスに対してのフィードバックの機会を設け、社員の成長とパフォーマンスの最大化につながるようにサポートを行っている。
また、1on1ミーティングの他にも、基本的なマーケティングや営業をテーマとした社内勉強会を定期的に開催している。
AmoebaX社では社員のキャリアプランを尊重し、理解した上で、社員全員が成長できる環境創りに取り組んでいる。
可能性がある人に機会を与え、大きく成長してほしい
最後に河野さんは自身の夢についてこう語ってくれた。
「なるべく多くの可能性のある人に機会を与える人になりたい。将来的には、個人投資家になることや学校設立にも興味があります。」
小学6年の時に出会った恩師が河野さんを大きく変えたように、今度は河野さんが機会を提供し、成長するきっかけを掴んでほしいと願っている。
ケニアの会社で新卒を中心に採用を行っているのもその思いが強く込められている。
ケニアでは人口に対して職が足りておらず、なかなか仕事に就くことができない若者が多い。
若い人にチャンスを与え、成長する機会を与えているのだ。
「社員には僕の会社で十分に学び、経験を積むことで、社内外問わず活躍する人材になってほしいと思ってます。」
最後にこんなことを話してくれた。
「僕のような雑草代表が新興国でビジネスで勝てることを証明して、日本人を勇気づけたいんです。その結果として新興国でチャレンジする人を増やしたいと思っています。」
河野さんのケニアでの挑戦が、誰かの挑戦のきっかけになるように。
大きなビジョンを掲げ、ケニアで日々奮闘している。